2020年12月02日

スケッチ展 ユーラシア大陸横断

新型コロナウィルスの影響からか、自分の活力が薄れてしまい、しばらく更新していませんでした。今年3月に開催したスケッチ展の内容を何回かに分け載せたいと思います。

定年退職日の翌日(2013年1月)、ユーラシア大陸横断の一人旅が始まりました。タイのバンコクに飛びそこから自転車旅がスタートしました。

● 題名:朝、仕事場へ
場所:ラオス、パーカディング(2013年1月)
タイからメコン川を渡ってラオスに入ると、これまで見かけた大きな商業用の看板は無くなった。通る車は少なく、耕運機の荷台に大勢の人を乗せている姿をよく見かけました。女性や子供を乗せて仕事場に向かうのだろう。

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● 題名:莫高窟 
場所:中国、敦煌 (2013年4月)
西安からのシルクロードは決して生易しいものでなかった。アップダウン、悪道、砂埃にまみれ、砂漠化した大地の風に悩まされた。集落もないだだっ広い荒涼とした大地を黙々とペダルを漕いだ。ようやく砂漠のオアシス敦煌に着く。その郊外にある莫高窟は「千仏洞」と呼ばれる仏像の石窟がある。1000年にわたって築かれた492の石窟の内部は極彩色の壁画と仏像で彩られている。

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● 題名:チャル・ミナール 
場所:ウズベキスタン、ブハラ (2013年7月)
中央アジアのウズベキスタン、ブハラの旧市街にはイスラム建築や古い街並、様々なモスクが残っている。日中の気温は40度にもなり暑すぎて観光ができない。比較的涼しくなる朝夕に出かけた。チャル・ミナール(4本のミナレット)は1807年、インドの金持ち商人が4人の娘の事を思って建設した。

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● 題名:旧市街とモダンな建物
場所:アゼルバイジャン、バクー (2013年7月)
アゼルバイジャンのビザを申請した時、ナゴルノ・カラバフ紛争が燻ぶっているためかかなり厳格だった。最初に泊まるホテルのバウチャーや滞在中の行動計画書が必要だった。カスピ海沿いの都市バクーは城壁内に歴史的な建造物が残っている。近年はカスピ海油田で急成長を遂げ大都市へと発展してきている。近代的な建物が方々に建てられていた。

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● 題名:夕焼けに染まるモスク
場所:トルコ、イスタンブール (2013年8月)
アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市イスタンブール。ボスポラス海峡大橋を渡ろうとした時、警察に停められた。ここは自動車専用道路だった。途中自転車の標識があったが、それが禁止マークとは知らなかった。(日本みたいに斜線がない。)警察がそこを通るバスを停めてくれ、それに自転車ごと乗って渡った。「ありがとう!」
イスタンブールはかつて東ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と3代続いた大帝国の首都として栄えた。バザールには民芸品や貴金属、衣類等様々な店がぎっしりあり、異国情緒豊かな街だった。

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● 題名:ロカ岬
場所:ポルトガル、ロカ岬 (2013年12月)
ユーラシア大陸最西端の憧れの地 "Cabo da Roca"(ロカ岬)に辿り着いた。長い道のり、月日を経て遂にこの場所に立った。十字架がある石碑にはポルトガルの詩人、カモンイスの "Onde a terra se acaba e o mar começa" (ここに地終わり海はじまる)が刻まれている。大航海時代、多くの冒険者が富と名声を求めこの近隣の港から未知の海へと繰り出した大西洋。海の彼方から吹いてくる風は強く、太陽の日は陰っていたが、私のココロの中は十分に温かく、しばらくその場所で酔いしれていた。観光案内所で到達証明書を発行してもらう。

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posted by mino at 20:11| Comment(0) | スケッチ展 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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